野口哲哉 最新作

ROCKET MAN ~hommage to miniature model~

雑誌「アートコレクター 2010年2月号 (VOL.18)」(2009年12月25日発売号)掲載

野口哲哉

「ROCKET MAN

 ~hommage to miniture model~」


制作年:2009年

材質:金属、樹脂、木、スポンジ、紙

限定数:1セット

Copyright (C) GALLERY GYOKUEI All Right Reserved.

この作品は僕が子供の頃に触れた掌文化に対するオマージュです。20数年前、幼かった僕達は模型作りに熱中し、その中で掌の魅力を知ることになります。魅力的なイラストが描かれたパッケージや、イラストと少々ギャップのあるモデルの完成度、付属する複雑な説明書、組み立て前のバラバラの部品。手のひらに収まるほどに小さな空間の中に圧縮された「物を制作する」事の楽しさは、幼かった僕達に、小さな模型の姿とは不釣り合いなひどく高尚な景色を見せてくれました。

並列するふたつの掌

野口哲哉

 掌、と聞いて現在連想されるものを古今混在のままに挙げてみると、根付や簪(かんざし)、ミニチュア模型、御猪口、ミニカー、ファッションに見るネクタイピンや腕時計、女性の宝飾品、あるいは流行の只中にあるお菓子のオマケ、所謂「食玩」やストラップといったフィギュア等も掌文化とカテゴライズしても良いと思われます。

 思い付くままに上げてみて、サイズ以外には共通性の無いように感じられる掌の世界には、実は二つの大きな分類が存在している事に気が付きます。つまり、「気軽に扱える並列化された魅力」の掌文化と「気軽には扱えない特権的な魅力」の掌文化です。

 誰でも手軽に購入でき、実際に手で触れコレクトしてゆく事が大きな魅力である御猪口やミニカー、あるいはストラップフィギュア等のカジュアルな印象は

「並列化した魅力」に該当するでしょうか。

 一方、根付や簪といった物は、本来は並列化したカジュアルな商品であったはずですが、現在美術館等で目にする名品の多くは特別に手間とお金の掛った例外的な存在ですし、そういった意味では高級腕時計や宝飾品、ミニアチュール彫刻と同じ、入念な作域やフォーマルな付加価値を楽しむ「特権的な魅力」の掌文化に該当すると考えられます。

 現在、見た目の類似点から混同視されがちな根付とストラップフィギュアも、上記に当て嵌めるならば、実はそれぞれがフォーマルとカジュアルという異なる魅力を持った掌文化の作品であり、一概に「親戚」として、一括りには出来ない性質を持っているようにも思われます。

 さて、僕の育った80年~90年代終盤にかけては、サブカルチャーが多くの掌の文化を発信していた時期でもありますが、興味深い事にその中にあっても上記の二つの分類が、ちゃんと存在していました。

 「キン消し」や「ガン消し」といったアニメキャラクターのゴム人形は、単体での完成度よりもコレクト性に重点を置いたマーケットを展開し、お気に入りのモデルをコツコツと集める「お小遣いで買える気軽な」掌の魅力を提示していました。これらは造形力の向上や、大量流通マーケットとの提携をきっかけに、やがて食玩やストラップフィギュアへと進化してゆきます。

 相対する形で模型業界では、タミヤ模型に代表される兵隊のミニチュア模型シリーズや、海外から輸入されていたファンタジー世界を表現した要着彩の精巧なメタルフィギュアが流通し、フォーマットのみを提供し完成度の高低を購入者に委ねるといった形式で、掌の持つ「特権的な魅力」を提示していました。昔の模型屋のショーケースの中に展示されていた、精巧に彩色されたメタルフィギュアやミニチュア兵士のリアルなジオラマは、技術の稚拙な当時の僕達にとってはまさに羨望の的でした。 

しかし、メーカー側のクオリティーに上限を設けない姿勢がかえって敷居を上げすぎる結果と為ったのか、技術の伴わない制作者が次第に乖離をはじめ、現在では一部の購買者層のみによって支えられているマニアックな分野に為りつつあります。

 サブカルチャーの中で並行していた二つの掌文化は一時的な拮抗の後、社会によって「気軽に扱える並列化した」掌作品が選択されたような印象を受けます。 事実、現在では何処のコンビニでも、食玩やストラップといった形式でフィギュアが大量に並べられているのに対して、かつては模型屋さんの真ん中に陣取っていた兵隊の模型やモンスターのメタルフィギュアは、今では殆ど見かける事が無くなってしまいました。

 日本サブカルチャーが発信する掌文化の表看板となった大量流通式のフィギュアは掌文化の持つ新しい可能性を体現する一方で「日本掌作品のクオリティーの高さ」を象徴する物であるかのように解釈される事も多くなりました。しかし改めて考えてみると、社会は分岐の過程でクオリティーの追求よりも大量流通による並列化の魅力を選択した訳ですし、実際にフィギュアは、量産の過程でディテールの省略や塗装の簡略化が施され、「クオリティーの並列化」が「クオリティーの制限」を併発している事が伺えます。

 勿論、流通式フィギュアの持つ軽妙洒脱なラインナップや、原型自体の魅力的な造形が広く歓迎された事は疑うべくもありませんが、「気軽に扱える」掌文化を選択した社会は、代償として特権的な高いクオリティーを減少させてしまった事も事実と言えるでしょう。

そして、現在、掌の美としての引き合いに出される、根付も簪も細密工芸も、全て並列化の不可能な、上限無きクオリティーの追求が生みだした産物である事

も忘れるべきではありません。

 僕が中学に上がるまでの過程で、ショーケースの中の精巧に彩色されたメタルフィギュアは次々と撤去され、高校を卒業する頃には模型屋そのものが閉店してしまいました。何故あの分岐で、社会が、あのハイクオリティーな物を救済してくれなかったのか。かつてあこがれの眼差しで上限の無い高品質な世界を眺めていた者の一人として、分岐で取り残された掌の文化に、ファインアートの世界からひっそりとリスペクトを表明したいと考えています。


『アートコレクター 2010年2月号』生活の友社、Vol.18(2009年12月25日発売)